筆者はビットコインに本質的な価値は無いと考えているが、技術的なバックグラウンドであるブロックチェーンについてはまた別の考え方を持っている。将来的な量子コンピュータによる既存暗号技術の無意味化のリスクはさて置き、ブロックチェーンを使った食品追跡など様々な応用分野があり興味深いものだ。
NFT(非代替性トークン)を使ったデジタル資産は「唯一性」「オリジナリティ」を担保することができるので、こぞってアーティストがNFTを使ったデジタルアートを出品している。いくらでも複製可能なデジタルアートの中で、高い価値を実現するための方法として注目されているからだ。
茂木健一郎氏は、YouTubeでNFTによるデジタルアートに懐疑的な姿勢を示している。山下公園周辺を散歩?しながら話しているので、呼吸音や風音で聞き取りにくいが、基本的に土地やモナリザなど本質的に複製不可能な財と違って、複製容易なデジタルアートに唯一性を示したところで、そこに意味はあるのかという疑問などが示されている。
しかし、「オリジナル」「唯一性」「真正性」の証明というのは価値の大きな源泉であると筆者は思う。
例えばシリアルナンバー入りの写真集を考えてみる。シリアルナンバー入りの写真集において、その違いはシリアルナンバーのみである。シリアルナンバー付の書籍はそもそも数が少ないが、唯一のものではない。その中で「シリアルナンバー1番」というのは最も高い価値を持つことになる。一番最初のものを手に入れたというのはコレクターにとって大きな意味があるからだ。
例えば1巻で100万部売れた漫画を考えてみる。原画は当然高い価値を持つが、複製された100万部の漫画の価値は等しいだろうか。保存状態や初版・重版などの違いがあるが、例えば新品同様状態の初版が1000冊あったとして、その価値は「そのままでは」基本的には変わらない。
しかし、「この漫画は初版の内、最初に印刷されたものである」という鑑定書が付いていたらどうだろうか。これが新品同様の状態であれば、他の999冊より間違いなく高い価値を持つはずだ。本質的に複製可能なもののオリジナルに高い価値があるということだ。
例えばイチローの直筆サインボールを考えてみる。筆者は昔イチロー本人に書いてもらった直筆サインボールを所有している。これは真実であり、虚偽ではない。しかし、これを例えばオークションに出したところで大した値段はつかない。(売る気は無いが。)
それは「鑑定書」が無いからだ。たとえばヤフオクでイチローのサインボールで見ても、鑑定書やそれに準ずるものがついているものと、単にサインボールがあるものだけでは落札価格に大きな差がある。いくら私が「本物だ」と言ったところで、偽物を出品する人が少なからず存在する限り、私の「本物だ」という発言はイマイチ信用できないわけだ。
要するに、物の世界において複製可能なものを考えても、「オリジナル」「本物の証明」という証明が価値を持つのであり、これ自体が「空虚だ」とはならないだろう。(コレクター心理自体が空虚と言うなら話は別だ。)
それがNFTを使ったデジタルアートになった途端に、空虚なもののような気がするのは、恐らく価値の裏付けの無い仮想通貨の「空虚さ」に引っ張られているだけのように思える。ブロックチェーンを仮想通貨とは分けて考えれば、決してそのデジタルアートの価値が無意味なものとは思えない。(但し、現時点でNFTアート自体がバブルであることには注意すべきだ。)