民主主義国家で生まれ育った者としては、サウジアラビアなど保守的なイスラム教国家の人権弾圧は酷い問題である。先日も米国のペンス副大統領が、イスラム教を侮辱したとしてサウジアラビア当局に逮捕されたブロガーRaif Badawi氏を釈放するように呼びかけた。
参考:Al Jazeera, “US demands Saudi Arabia release ‘critic of Islam'”, 19 Jul 2019
カショギ氏暗殺の件でもサウジアラビアが強く追求されるのは世界有数の産油国であるからで、実態としてはかなりの人権無視が横行しており、「石油の出る北朝鮮」とも言われる。
その行為は全く擁護できないが、では実態を変えられるかといえば、それはかなりハードルが高い。まず、イスラム教の在り方として「言論の自由」と相容れないからである。
イスラム教の保守的な立場として「ムスリムは神と奴隷契約を結ぶ」と考えれば、その構図は理解しやすい。
砂漠の過酷な環境下で生き抜くための「生きる知恵」として発達したイスラム教においては、その知恵に異を唱えることは、それだけで生存率を低くする。
例えば「酒を飲んでもいけない」という考え方の元は、「水が少ない砂漠において、喉が乾いたからといって酒を飲んだら逆効果」という考え方が元だと言われる。
こうした背景もあり、異を唱える事自体が重罪という考え方も育った。それに王族の独裁政権が加われば、その部分が先鋭化されることになる。
こうしたイスラム教の世界において「言論の自由」を共存させることは難しい。
民主主義国家とイスラム教が一見共存しているように見えるマレーシアなどでも、クランタン州などマレー系民族が殆どで保守的なイスラム教が残る地域においては、鞭打ち刑が認められているなど、人権意識が高いとは言えない。
こうした国では通常の法律とは別枠でシャーリア(イスラム法)が位置づけられており、民主主義とイスラム法は対立する形となっている。
リベラルの人、特に同性愛などLGBTの権利を強く主張する立場の人は「同性婚が認められる国が増えている」と言うが、世界的に見れば「同性愛自体が違法である国」の方が圧倒的に多い。2016年時点で国連加盟国の37%は同性愛を違法としている。
また難しいのは民族的・宗教的・文化的多様性とも対立する問題であるからだ。極端な話、イスラム教を禁止して西洋的な民主主義を導入すれば人権弾圧のようなことは大幅に減るかもしれないが、文化的多様性を損なうことになる。
マレーシアの場合はまさしく「人権と宗教的自由」が対立した最たる例である。サウジアラビアのような国では更に政治システムの問題もあり、かなりハードルが高いと言わざるを得ない。