オリンピックのメダル数とGDP

2020年の東京オリンピックが近づき、日本がどれだけメダルを取れるかというのは筆者も大いに興味があるが、その参考として興味深いのがオリンピックメダル数とPPP(購買力平価)ベースのGDPの関係である。

以下は社会実情データ図録がまとめた図である。2016年のGDP上位50ヶ国について、2000~2016年の5回分の夏期オリンピックについて、その獲得メダル数とPPPベースのGDPがプロットされている。主要国については5回分の軌跡も示されている。(横軸は対数目盛である。)

オリンピックメダル数とPPPベースGDPの相関
出典:社会実情データ図録

図を見て分かる通り、獲得メダル数とGDPには相関関係が見られる。GDPは

$$GDP=人口×1人当たりGDP$$

と分解して考えれば分かる通り、まず、才能が非常に重要なスポーツの世界においては「人口の多さ」は才能を持つ人間の絶対数が増えるので有利である。そして1人当たりGDPが高い(=経済的に発展している)ことは、健康状態やスポーツ関連のインフラ、選手育成に投入できる資金などに差が出てくる。故にメダル数とGDPに相関関係があるのは極めて自然なことである。

しかし、インドなど必ずしも説明できない部分があり、その背景を考えると面白い。

ロシアのドーピング問題

社会実情データ実録でも指摘されているが、2000年と2004年のロシアは経済規模の割にメダルが非常に多かった。これはドーピングの疑惑が向けられる要因にもなっており、その後2016年のリオオリンピックでは出場停止になった選手が多く、メダル数は82個から56個に急減している。

自国開催のメダル数増加効果

2000年のシドニーオリンピックや2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックなど自国開催ではメダル数が経済規模の割に増える効果が見られる。これには、(1)自国開催によりアスリートへの投資が増える、(2)気候や競技場など環境面での有利性などといった理由が考えられる。

そういう意味では東京オリンピックでは日本のメダル数増加には期待できる。図を見て分かる通り、今までの日本は経済規模に対して米英中などと比べればメダル数が少ないと言える。東京オリンピックでの目標数82個というのは無理があるとも言われるが、逆に言えば経済規模からすれば、これくらい取るべきという妥当な目標とも言える。

インドでスポーツ選手は「土方」

「土方は差別用語だ!」と言わないでもらいたい。そんな事は分かっているが、本稿のために敢えて使っている。

図を見て分かる通り、インドはPPPベースのGDPは16年間で著しく伸びているが、メダル数は少なく、他の国の傾向とは大きく外れている。この理由について産経新聞海外特派員である森浩氏は、

  1. クリケットに人気が集中し過ぎて他の競技に目が向かない
  2. スポーツの機会を奪う貧困問題
  3. 異なるカーストの人々が同じスポーツを楽しむことへの抵抗感がスポーツ振興を妨げる

を挙げている。確かにこれらも要因の一つではあるが、それだけでは説明がつかない。1については諸外国では非常にマイナーなスポーツであっても競技者が存在し、一流の水準である例も少なくない。2は重要な問題だが、他の国に比べて異常にメダル数が少ないことの説明としては弱い。

本質的なのは3だが、カーストと区切ってしまっていることには問題がある。より本質的に問題を見るには古い言い方であるカースト制ではなくヴァルナ・ジャーティ制として捉えなければならない。

ヴァルナとは一般的にカーストと言った時の4階級(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ)を指し、今でも異なるヴァルナにおける結婚などに抵抗がある人は多い。森氏が指摘しているのはこの点だろうが、どの階級にも多くの人間が存在するので、それだけで一つのアスリート集団や支援者が出てきてもおかしくないと思える。それなのに何故スポーツが育たないのか。

本質はジャーティと呼ばれる職業を中心とした社会集団である。例えば「漁師のジャーティ」や「洗濯人のジャーティ」など職業によるジャーティがインド内に数千は存在すると言われ、どの人も何らかのジャーティに属するという認識を持っている。結婚などの単位もどちらかと言えばジャーティが重視される。

ヴァルナから外れた被差別民として不可触民という言葉は有名だが、これはヴァルナから外れたというよりかは、汚れ仕事であったり血に関わるような仕事にかかるジャーティが不可触民とされる。医師ジャーティも不可触賤民だが、所得が高いのでその辺りはまた問題が複雑である。

さて、インドではスポーツ選手は土木工事などを行うジャーティなどと同様に見られており、ジャーティの観点で言えば良いイメージが無い。悪い言い方をすれば「土方」の一種である。これがこの表現を敢えて使った理由であり、決して差別する意図は無い。インドにおけるスポーツ選手の扱いを例える上で最適な言葉であるから使ったまでである。

森氏もインドの諺「勉強をすれば王様になれるが、運動にうつつを抜かせば没落する」を紹介し、スポーツを軽視する傾向が強いことを示している。例外的にスター選手は大金がもらえるクリケットに関しては目指す若者は多いが、いわゆる上位ジャーティの人がクリケット選手を目指すケースは少ない。

モディ首相はこの状況を変えようとしているが、根強いヴァルナ・ジャーティ制の問題を改善するのは並の仕事ではない。逆に言えば、経済規模に対するメダル数はインドの階級制度の残存を図るバロメータになるとも言えるだろう。

参考文献

[1]社会実情データ実録「オリンピックメダル数と経済規模との相関」

[2]産経新聞「特派員発】人口13億、スポーツなぜ弱い? クリケットに人気集中、カースト、貧困… インド・森浩」2018年9月29日

       

この記事の著者 HAL について

金融・マーケティング分野の機械学習システム開発や導入支援が専門。SlofiAでは主に海外情勢に関する記事、金融工学や機械学習に関する記事を担当。

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