今回も引き続き出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫 より、読む過程で投資に役立つヒントとなると考えたものを紹介していく。今回は第四部1章「ユーラシアの温暖化と商業の隆盛」及び2章「中世の春」である。ここでは契丹と宋の澶淵の盟などの朝貢から現代の一帯一路まで、少なくとも2000年近く中国大陸で続く「文化」に着目する。
前回:投資に役立つ『全世界史』(10):人を間引くための戦争
澶淵の盟とは、モンゴル高原から中国北部までを支配していた遊牧民国家である契丹(きったん、キタイ)が、六代聖宗の時に宋に攻め込み、澶淵(せんえん)で対峙することになるが、両軍が膠着状態に陥り、その時の和平交渉により結ばれた盟約である。
面白いのは、著者はこの澶淵の盟をODA(政府開発援助)になぞらえていることである。
澶淵の盟は、キタイが弟となり、宋が兄になります。兄の宋は毎年、銀10万両と絹20万疋を贈るという内容でした。国境の変化はありません。これは一種のODA(政府開発援助)です。キタイに渡ったお金は、陶磁器や茶など宋のさまざまな物品の購入に向けられますから、宋も潤うのです。寇準(筆者注:宋の宰相)には先見の明があって、名より実を取りました。軍事の北と経済の南というこの優れて安定的な分立システム(澶淵システム)は、クビライの中国統一まで約300年間も続きます。
出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫(p. 262)
ODAに例えるのは一般的ではないが結果的な役割としては似たところがある。ODAで金銭的な援助を行ってインフラ開発を行なう際に、拠出国の企業が開発に関与すれば、拠出先の開発に寄与するだけでなく、拠出元にもメリットがあるというのがODAの一つの役割である。
史学としては澶淵の盟は朝貢貿易の一種として考えられるケースが多い。朝貢貿易は、中国の周辺国が中国皇帝に対して貢物を捧げる替わりに、中国はそれ以上の価値の回賜(返礼品)を渡し、君主として認めることを指す。これは冊封と違って臣属関係は無く、日本も古くは行っていたことは日本史の教科書に必ず載っている事である。
中国にとって朝貢の目的は「周辺国に攻められないこと」である。朝貢貿易は中国が返礼品として渡す文物の方が遥かに高価であるが、それでも国土の周囲に防衛力を築くよりは余程安上がりというところから来ている。
澶淵の盟も、宋が契丹に対して銀と絹を贈ることによって攻められないようにするための朝貢貿易の一種として捉えられる。しかし、一般的な朝貢貿易と違い、結果的に宋の財が購入されることにより経済的なメリットが存在するので、一種のODAと表現しているのだと思われる。
逆に臣属関係が明確となっているのは冊封である。これは嘗ての朝鮮半島や琉球などと行っていたものであるが、形式は異なるが構造としては似ており、両者はまとめて朝貢冊封体制と呼ばれる。
ODAをも含むような広い枠組みでこれらを見れば、現代の一帯一路も同じ構図で捉えられる。直接的に武力で攻めるのではなく、融資という形で港湾などのインフラ開発を行い、返済できなくなったらインフラを取り上げてしまうというのは、2000年近くに渡る朝貢・冊封文化との連続性を感じ取れる。
新型コロナウイルスでルスで中国がWHO(世界保健機関)に対して緊急事態宣言を出さないように圧力をかけたということが報道されたが、あれもWHOの事務局長が一帯一路の被害にあっているエチオピアの人であるからこそ恫喝に意味があるのだ。
日本経済新聞「中国、緊急事態宣言の回避でWHOに圧力か 仏報道」2020年1月29日
最終的には緊急事態宣言が出されたが、それでもかなり中国に配慮した内容であり、「周辺国に攻められないようにするためにお金を出す」というのは朝貢と同じ構造である。
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