生活保護をパチンコに利用する人についてはたまにメディアでも取り上げられ、基本的に批判的な意見は多い。筆者もパチンコは色々な意味で好きではないので、その気持ちは十分に分かる。
一方で日本国憲法第25乗の「健康で文化的な最低限度の生活*1」という文言を見れば、娯楽はどうか、嗜好品はどうか、どこで線引きを引くのかなど微妙な問題である。例えばパチンコが駄目でも博物館なら良いのだろうか。もし博物館が良いなら秘宝館はどうなのか。
また保守的な立場なら、生活保護のように自由度が高いものではなく、米国のSNAP(フードスタンプ)のように使途を明確化すべきといった話になる。
しかし、フードスタンプのケースでも微妙な使途は多く存在する。その代表例が表題のペットフードやポテトチップスである。おやつの一つくらい買っても良いと思う人もいれば、ポテトチップスは健康に悪いので駄目だと考える人もいる。同じ食事でもペットフードはどうなのか。ペットは家族だから良いのか。
オクラホマ州立大学のマーケティング・国際ビジネスのスティーブン・シェパード助教授らは、こうした微妙なケースについて、フードスタンプをどうすべきかについての世論は、個々人の好みに基づいてバイアスがかかるということを明らかにしている。
例えば、ポテトチップスとキャンディのどちらがフードスタンプの対象として認められるかを考えた場合、ポテトチップスの方が好きな人は、キャンディの方がフードスタンプの対象にすべきでないと考える人が多いという。
ペットフードについても同じで、2018年には米国ではペットフードをSNAP基金で賄うことについての10万人以上の署名運動があった(結局認められなかった)が、この請願に対する人々の反応をFacebookで分析すれば、プロフィール写真にペットの画像があるユーザーの方が明らかに賛成率が高かったようである。
このように、お金の使い方について、何が有益か何が無駄かについての判断は、心理学的に自己中心性バイアス(エゴセントリック・バイアス)によって歪められるということが分かっている。自己中心性バイアスは、自身の知識や価値観を過度に重視して他者の心理を判断してしまうことである。
自分がペットを飼っていて家族の一因として愛していると、フードスタンプでペットフードを買うことにも賛成しやすくなる。ポテトチップスが好きならポテトチップスの購入を容認しやすくなり、嫌いなら「無駄な支出」と判断してしまうわけだ。
冒頭のパチンコなどについても批判的意見が多いのも同様の枠組みで考えることができる。パチンコと言えばギャンブルであり、資金の流れなども含めて良くないイメージを持つ人が多く、衣食住に比べれば優先度は低いどころか「望ましくない」と考える人が多いのも頷ける。
また、食品の場合は状況によっても意見が変わることがあるかもしれない。例えばケーキをフードスタンプの対象にすることに反対する人でも、「クリスマスに購入すること」なら容認する人もいるかもしれない。日本でなら、生活保護でお菓子を買うのが良くないと思っている人でも、バレンタインデーのお返しで買う場合なら良いと思うかもしれない。
*1:第25条自体はプログラム規定と解釈され、政府の裁量の余地があり、世論や政策によって変わり得るものである。