YOUKI氏が #検察庁法改正案に抗議します の反響が大きくなった理由を書いていた。内容としては、ほぼほぼ同意である。定年延長と年齢の統一は自然な流れだからだ。また、検察庁を行政権と知らないような無知による批判は論外だからだ。
一連の論外の検察庁法改正案の抗議に対して、まともなやり方を教えてあげよう。
まず、黒川検事長が既に定年状態であり、そこを法改正後に適用することは法の不遡及に反するのではないかという批判は真っ当である。これは司法関係者の一部から出ているものであり、これは一考の価値がある。
もう一つは日弁連の会長声明に関係するものである。声明の一部では、以下のように指摘される。
しかし、この改正案によれば、内閣及び法務大臣の裁量によって検察官の人事に介入をすることが可能となり、検察に対する国民の信頼を失い、さらには、準司法官として職務と責任の特殊性を有する検察官の政治的中立性や独立性が脅かされる危険があまりにも大きく、憲法の基本原理である権力分立に反する。
日本弁護士連合会「検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明」2020年4月6日
なぜ日本では「検察官の中立性や独立性」が失われることが危機なのか。冒頭で指摘した通り、検察は行政権に属するのだから独立していても問題ないのではないかと思うだろう。
このような批判が出るのは、日本の司法権が弱いからである。しかし、日本の検察は特殊である。刑事裁判で有罪率99%となるのは、確実に有罪にできそうなものだけ検察が起訴し、もし無罪判決が出ようものなら検察としてのキャリアに傷つくからである。(ゴーン勾留の時に、無知な海外マスコミと左翼を煽って有罪率99%批判が展開されたが、「有罪数/送検数」で見れば、日本も欧米諸国も大して変わらない。)
これは実質的に検察が司法権を担っているのと同義である。検察が被疑者をどんどん起訴し、裁判で有罪か無罪かが判断されるのであれば、検察が内閣から独立している必要性は無い。
だから、「三権分立の危機」だというのは、無知に基づくものは論外として、日弁連会長の声明も本質から少しずれている。
抗議するなら検察庁の在り方自体に抗議すべきである。そこを付かずして明後日の方向から批判しても何も変わらない。だって、日本は「三権分立の危機」ではなく、最初から三権分立になっていないのだから。