【画像】ペナンで有名なストリートアートで、本物の自転車を置き、壁に自転車に乗る子供を描いたもの
要約
- マレーシアのペナンは世界遺産登録で観光客が多く来ているが、家賃の高騰により地元住民や職人が多く転出していく空洞化問題が生じている
- ペナンが世界文化遺産に指定されるに至った歴史的経緯と観光名所の関係を解説
- ペナン州政府の取り組みは観光投資を長い目で見た場合のモデルケースとなる可能性
変遷期にあるジョージタウン:若者がペナンの遺産地区にビジネスという新しい意味を与える(Channel NewsAsia)
- 2008年に世界文化遺産に登録されて以来、観光客が急増し、観光施設も2013年までに60%増加
- 一方で家賃が登録以来200%上昇し、ヘリテージハウスから退去せざるを得なくなった人が多数
- 空洞化は2000年の家賃規制法の撤廃が大きな要因(当時、一晩で家賃が50~300%増加)
- 規制撤廃前の16,116世帯が、2009年には2,533世帯にまで減少
- 一方で、遺産や伝統文化の保護、起業家精神を喚起するための組織やプログラムも多く作られ、若者を中心にビジネスで活性化する取り組みが増えた
- 職人も観光客が買いやすいものを積極的に作るなど文化面でも変化しつつある
- 州の世界遺産事務所GTWHIは、遺産の修理費用のための基金を設立し、遺産建築物の所有者に財政援助をする代わりに、所有者は安い賃料で地元住民に長期リースするなどの取り組みをしている
- 歴史的建造物の改修なども進み、2017年時点で老朽化した状態のものは1%までに減少
解説
マレーシアの北西部に存在するリゾート地ペナン島は、西側から見て「東南アジアの入口」とも言える場所であり、古くから季節風貿易の際の寄港地として栄えていた。大航海時代に入ると、その立地上の利点から多くのヨーロッパ諸国が勢力下に置こうと競い合い、イギリスの植民地となり、西洋から多くの入植者が住むようになった。
その後、19世紀に入ってシンガポールが注目されることによって入植者の多くはシンガポールに移動し、ペナンは人手不足に陥るが、イギリスは華人を移民として多く呼ぶようになる。
こうした歴史的経緯もあって、ペナンのジョージタウンには元のマレー文化に加え、
- 華人による伝統的な建築様式ショップハウスの町並みや中華寺院(プラナカン建築群)
- 東インド会社が残したコーンウォリス要塞
- 植民地時代1885年に作られた英国コロニアル様式のEastern & Oriental Hotel
- 東南アジア最古のイングランド教会セント・ジョーンズ・チャーチ(関西人に有名な岸和田のアレではない)
など多種多様な文化が入り乱れる地域となっており、今もマレーシア北部の重要な都市である。
こうした背景から2008年にジョージタウンはユネスコの世界文化遺産に指定された。筆者も指定後に訪れたことがあるが、海はあまり綺麗ではないので、ビーチリゾートとしてよりかは、こうした町並みを散策したり、歴史的建造物であるヘリテージハウスに宿泊したり、上記の高級ホテルでもEastern & Oriental Hotelでアフタヌーンティーを楽しんだり、といった事に価値があるように思えた。
この歴史的建造物はホテルとしてやプラナカンマンションのように博物館や内部の一般公開として観光客向けに開放している場所もあるが、多くは今も住居として使われている「生きた文化」である。しかし、上記事の通り20年間家賃の急上昇によって引っ越しせざるを得なくなった人が多く、伝統文化の職人なども外部へ多く転出していく空洞化問題が発生している。
持ち家の人で恩恵を受けた人も多いが、観光客が多く集まるような場所でなければ、街の混雑で不便を感じるだけだという人も多く、いわゆる観光公害やオーバーツーリズムというような問題も生じている。
観光政策や投資で潤う面は当然素晴らしいものだと思うが、一方で文化を担ってきた人がいなくなってしまえば、長期的に文化的な価値が毀損されるわけであり、長い目でみれば経済的にも決して良いとは思えない。このあたりが観光投資の難しい側面である。
勿論、ペナン州政府もその問題を放置しているわけではなく、ペナンの文化的な文脈を継承しつつ変化していく為の政策を多く取っているようである。その取組みはまだまだこれからのようであるが、一つのモデルケースとして今後も注目である。
参考文献
サリーナ・ヘイズ ホイト(1996)『ペナン 都市の歴史 (IMAGES OF ASIA) 』学芸出版社
篠崎香織『プラナカンの誕生 ―海峡植民地ペナンの華人と政治参加―』