今回も引き続き出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫 より、読む過程で投資に役立つヒントとなると考えたものを紹介していく。今回は第三部第1章「漢とローマ帝国から拓跋帝国とフランク王国へ」などからヒントを得る。
キリスト教など成功した世界宗教をマーケティングのヒントにするというのはよくある。しかし、仏教などについてはキリスト教に比べれば論考が少ないように思える。しかし、本書でのヒンドゥー教や仏教についての成り立ちについての整理は簡潔で分かりやすく、これはそのままマーケティング、もっと言えばビジネスモデルの転換についての教科書と言っても良いほどだ。
ゴータマ・シッダールタ(後の仏陀)が生まれた紀元前5世紀頃のインドのガンジス川流域では、アーリア人が持ち込んだバラモン教と鉄器が強く影響していた。バラモン教はヴェーダを聖典とし、今のヒンドゥー教におけるカーストなどの概念を持ったインド古代の宗教である。
当時のインドでは牛に鉄製の農具を曳かせて田畑を耕すことにより急速に生産性が高まっていた。鉄は前回触れた「知の爆発」を起こすための前提条件として位置づけられている。
しかし、当時のバラモン教は「牛を殺して臭いを神様に捧げる」という風習があった。同様の風習はギリシャでもあった。
すると、どうなるか。バラモン教の世界ではいちばん偉い司祭階級のバラモンが牛を勝手に徴発して、神様が望んでいらっしゃると言っては殺していくわけです。これに対して農地を持っている人たちは、心のなかでは許せないと思っても、反論するロジックがない。
出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫(p. 103)
そこで登場したのが仏教とジャイナ教で、どちらも「不殺生」を掲げたことで成功したというのが第一である。ジャイナ教は不殺生を徹底しており、今でもインドに500万人以上の信者がいる。
しかし、今のインドを見ればヒンドゥー教が圧倒的である。なぜこうなったか。そして、仏教は大乗仏教と上座部仏教に分かれている。この歴史的背景は何か。
元はバラモン教で仏教にも取り入れられた考え方として四住期(バラモン教ではアーシュラマ)という考え方がある。これは、人生を4つの期間に分け、
少年期には一所懸命勉強して、ブッダの教えや生きる知恵を学ぶ。成人したら一所懸命働いて一家をなし、妻を娶り家族を養い子供を残す。子供が独立したら仕事を辞め、財産を譲って静かに宗教的生活を送る。人生の最後の時期になったら、世のしがらみを捨てて森に小さな庵を建て宗教三昧にふける。
同上(p. 120)
というものである。著者は、これは隠居生活の点が強調されることが多いが、肝は青壮年期のうちに稼いで家族に不安を与えないように財をなすというところにあると指摘している。つまり、実は素朴な仏教は都市のブルジョアジー向けの宗教であると。
一方で牛を殺すことでシェアを落としたバラモン教がどうしたかと言えば、主に
- バラモン教の12神を3神(シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー)にして分かりやすくする
- 人気のあったシヴァ神やヴィシュヌ神の社を建てて祈るだけで救われる
- 聖牛崇拝を取り入れる
の3つを実施し、現在ヒンドゥー教と呼ばれるものになっていった。12種類もいるとややこしいのでよりシンプルにすることで分かりやすくなった。そして、ブルジョアジー向け宗教に対して多くの民衆は日々忙しいので、祈るだけで良いというのは都合が良い。そして、バラモン教が負けた理由だった問題を解決するために聖牛崇拝を取り入れる。
これには現代の成功するビジネスとして重要なエッセンスが多く含まれているように思える。
そうすると今度は仏教ではなくヒンドゥー教がインドの都市部を席巻するようになる。これに対して仏教は浄土教など単純明快な新しい経典を生み出した。これが上の素朴な仏教である上座部仏教に対して、大乗仏教と呼ばれるものである。
念仏を唱えていれば良いというような浄土宗などの特徴は歴史的にはヒンドゥー教の後追いで、更には仏像を作るという習慣もヒンドゥー教由来であるし、更には姿を様々に変えるヴィシュヌ神を借りたのが観音菩薩である。変幻自在という点は千手観音像や十一面観音像といったものとして表現されるようになる。