投資に役立つ『全世界史』(9):仏教とブランド

今回も引き続き出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫 より、読む過程で投資に役立つヒントとなると考えたものを紹介していく。今回は第三部5章「唐宋革命とイスラム帝国の分裂」である。

前回:投資に役立つ『全世界史』(8):ヴァイキングと交易

今回は仏教とヒンドゥー教のマーケティングを受けての内容である。牛を殺して神に捧げるバラモン教はインドの農民にとっては迷惑千万であり、そこで不殺生を掲げて支持されたのが仏教とジャイナ教である。しかし仏教は「若い内に財を成して老いれば財産を譲って修行に明け暮れる」というある種の「ブルジョアジー」的な宗教であるが故、バラモン教は「神々を分かりやすく」「信仰方法はシンプルに」「聖牛信仰」を取り入れてヒンドゥー教として生まれ変わり、大衆に支持された。仏教もヒンドゥー教のマーケティングを取り入れて大衆向けの大乗仏教を生み出した。

中国では唐の時代の後半から宋の時代にかけて浄土宗と禅宗が活発になるが、それぞれの棲み分けが今回のヒントである。

仏教教団は、木版印刷という新しい技術を積極的に活用しました。(…)中国の仏教界も積極的に自分たちの新聞を出して、競い合いました。そのなかで大衆に浸透したのが、わかりやすい浄土宗でした。南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土へ行けますよという他力本願の教えです。

出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫(p. 253-254)

大衆向けに簡単な浄土宗が流行ったというのは日本でも同じ道を辿るが、一方で、

けれども、知識人や、科挙を受験して官僚を目指すような人々、彼らのことを士大夫と呼びますが、そのような人々は、南無阿弥陀仏では物足りないと考えます。知識人は、そもそも西方に浄土があるのかと疑う。人生とは何かとか、もっといろいろ考えたい。そこで禅宗が登場します。禅宗には面白い一面があります。わけのわからない難問を出して考えさせる(公案、禅問答)。これが知識人に受けました。

同上(p. 254)

と「頭でっかち」な知識人は禅宗を好む。

これは仏教が生まれたインドでも同様の事が7-8世紀に起こっている。

 仏教が都市のインテリの信者に寄りすぎて、農民や貧しい人々がヒンドゥー教に流れてしまい、それを防ぐために大乗仏教が生まれたのでした。ところが今後は、それに対する不満がお金持ちやインテリ層から出始めました。(…)そこで考えられたのが密教です。

 ブッダの本当の教えは、むずかしくてオープンに大衆に話しても理解されない、ですから、あなたにこっそり教えます、という理屈なのです。そして宇宙の姿や智慧を絵にした曼荼羅を見せたり、サンスクリット語そのままの呪文を真言と称して唱えたり、いままでにない仏器や花を飾り、荘厳な世界を演出したわけです。「あなたにだけ、教えましょう」と。

同上(pp. 184-185)

難しいものを誰でも簡単に扱えるようにするというのは一つの付加価値である。上座部仏教に対する大乗仏教がそれである。しかし、それは難しい事を捨象しているのであり、どうしてもマニアックなユーザーはより難しい事を求めるようになる。

これを製品におけるハイエンドモデルとローエンドモデルの違いと対比させてみると興味深い。ハイエンドモデルはより複雑で高度なニーズを充足させるためのものであり、この意味では上座部仏教や密教は仏教におけるハイエンドモデルである。

しかし、仏教における「難しいこと=付加価値」かと言われれば、必ずしもそうではない。寧ろ上座部仏教や密教は「ブランド」であると考えた方がしっくりとくる。

「知識人が難しい事を求める」と言った時、その求めるものには「そもそも知識が必要」ということであり、誰が消費しても高い効用が得られるものではない。手っ取り早く南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるのであれば、その方が費用対効果が高いと考えてもおかしくはない。

消費者に知識があって初めて得られる価値を文化経済学的には「固有価値」と言う。主に芸術分野について言及されるものであるが、ブランド製品などに適用することも可能だ。例えば、日本でも話題になったバンクシーも、何故評価されているかというコンテキストが分からなければ単なる落書きである。

ブランド製品であってもアートであっても同じ事が言えるが、必ずしも「高いもの=高品質」というわけではない。ある程度絵が上手い人であれば、バンクシーに酷似した落書きを描くことができるだろうが、その絵にはきっと価値はつかない。絵自体の価値は文脈依存であるからだ。

「バンクシーの<絵>」と「バンクシーに似せた無名の画家の<落書き>」の違いこそがブランドであると言って良い。別に絵の実用性という観点からは、「バンクシーが書いた」という情報が無ければどちらも等しく落書きである。

同様にブランド物も、外部に与える印象などを除いて単純に実用性という観点で見れば必ずしもコストパフォーマンスは高くない。

そうすると、大乗仏教の中で特別な「密教」が生まれた背景を考えることで、製品やサービスのブランド化・高付加価値化というのが単なる「質の向上」ではなく、いかに「文脈を付与するか」、どのように「顧客を育てていくか」といったところまで考えなければならない事が分かってくる。

もし投資対象企業が製品のブランド化や高品質化を謳おうとしているならば、それを実現するために何をしているかをよく吟味する必要があろう。

出口治明(2018)『全世界史 上巻』新潮文庫


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この記事の著者 HAL について

金融・マーケティング分野の機械学習システム開発や導入支援が専門。SlofiAでは主に海外情勢に関する記事、金融工学や機械学習に関する記事を担当。

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