歴史的に「女性を労働から解放する」という流れで生まれた専業主婦の概念は、近年の「女性の社会参加」という流れで再び消えつつある。それでも「男性は労働し、女性は家庭に入る」という価値観は多かれ少なかれどの国でも残っている。
こうしたジェンダーバイアスは、言語と人々が就く職業に関係があるのではないか、という論文が先日Nature Human Behaviour紙に公開された。
例えば日本でも「看護婦」が「看護師」に、「保母」が「保育士」に、外来語でも「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」になったり、女性をイメージする職業名が変化するケースは多い。ウェイターとウェイトレスなんかもそうだ。この種の言語と性別の関連付けの言葉はどの国にもある程度存在し、それが職業の性差と関係しているのではないかという研究である。
世界的にもこの潮流は同じだが、最近はmankindをpeoplekindと呼ぶように主張する人が出てきたり、その傾向は加速化している。これは言葉狩りという人も多いが。
論文では25言語の言語データセイットとSTEM(科学、技術、工学、数学)に就業する人の男女不均衡を比較するというのが主たる部分になる。原著は有料だが、PsyArXivにプレプリントが公開されている。研究に使われたデータについては上記natureで公開されている。
研究内容を尤も端的に表すのが以下の図である。縦軸は職業における性差、横軸が言語的な性別的特徴の強さを示す。両者は相関しており、ドイツ語(Dutch)やDanish(デンマーク語)などが特に言語的性差も職業的性差も大きい。逆にインドネシア語(Indonesian)やフィリピン語<タガログ語(Filipino)などは性差が少ない。
日本語<Japanese>は言語的性差はやや少なめだが、職業的性差はやや多いといったところだ。スウェーデン語(Swedish)は言語的性差は大きいが職業的性差は少なめといった特徴がある。
最も外れ値と言えるのがヒンディー語(Hindi)で、言語的性差は中程度だが職業的性差は小さいというところである。但し、これはジェンダーバイアスが少ないというよりかは、インドではどちらかと言えば職業カーストなどの影響が強いと思われる。
全体的に見て、文化的伝統である言語と職業的性差には関係が見られるが、個々の関係ではやはり各国の社会情勢や取り組みなどの影響が出ているように思える。但し、これはあくまでも相関なので、mankindをpeoplekindに変えようといった取り組み自体が職業的性差を緩和するとは限らない。