2019年頃までは機械学習についてあまり知らない人は「うちの会社に人工知能(AI)を導入したい」とか「ディープラーニングを使いたい」といった典型的な手段の目的化といった発言を多く聞いた。新型コロナウイルスにより、リモートワークや自動化などのニーズが高まって再びAIを導入しようとする動きも出ているが、以前ほどではなく、ある程度はディープラーニングの限界が認知されたと「思っていた」。
これについてガートナージャパンは、AIは日本では2019年10月にガートナーのハイプサイクルにおける「幻滅期」に入ったとしており、筆者も2020年2月にはAIの「冬の時代」が近いという趣旨の記事を書いている。
ガートナーの「幻滅期」とは、過度な期待が持たれている「ピーク期」の後にくる反動である。以下は2020年7月時点のガートナー社が示したガートナー社のハイプサイクルだが、人工知能やIoTや量子コンピュータなどが幻滅期に入っている。その後に啓発期、生産性の安定期へと少しずつ普及して社会に浸透していく形となる。
筆者はITバブルのような観点で、過剰な期待によるバブルが弾けた後に本格的に普及していくとみているが、言っている事は基本的に同じである。
しかし、「ディープラーニングの限界が認知されるようになった」という認識は、誤りなのではないか、と最近思うようになった。
先日、知人とデータサイエンスや機械学習の行く末について話していた時に、以前に比べて猫も杓子もディープラーニングと言う人は減ってきており、ディープラーニングについての知識が浸透してきたのではないか、という話題になった。その時、知人は「ディープラーニングは万能ではなく限界もある、という話が浸透しただけではないか」と指摘した。
これはなるほどと思った。確かに、余程物好きの人でなければ、業務で機械学習を使わない大多数の人は技術について調べる機会は無く、報道で伝えられる内容の範囲で理解する人が多い。そういう意味で、テレビなどでも「ディープラーニングの限界」などが取り上げられることが増えてきているようだ。
もし、技術的な限界が浸透したのではなく、「技術的な限界がある」という字面だけが浸透したとすれば、それは幻滅や失望しているのではなく、単に流行が廃れる時に急速に興味が薄れていくだけの動きに他ならない。収縮していくのでバブルという表現は変かもしれないが、今度は必要以上に興味が薄れていくという事態にもなるので、「市場価格との著しい乖離」という意味でとらえれば、「ディープラーニング失望期バブル」と表現しても差し支えないだろう。
過剰にディープラーニングに失望している、正確に言えば「ディープラーニングに失望するのが流行っている」というわけだ。
独立行政法人情報処理推進機構(2020)『AI白書 2020』KADOKAWA