なぜカリキュラムは等比級数的にデザインされるか

やねうらお氏(磯崎元洋。BM98や将棋ソフトやねうら王で有名)が自身のブログで興味深い記事を投稿している。小学校から高校までの教育カリキュラムを俯瞰すれば、後者になるほど学習する内容が等比級数的に増えていく。未知の経験を記憶する単純記憶力を一定とし、既知の経験を紐付ける連想記憶力をその時点での記憶量に比例すると仮定してモデル化すれば、記憶量は連想記憶を巧く活かさなければ指数関数的に増えていかず、単純記憶力だけではどこかで破綻するというものである。

やねうらお.com「どうすれば人間は無限に賢くなれるのか?」2020年6月14日

やねうらお氏の例で言えば、英単語の綴りならbeautifulを「ベアウチフル」などとローマ字読みで覚える方法ではなく、英語のスペルの規則性を理解して覚える方法だとということになる。これ自体はその通りで、早いうちに教育者や親が「世界の摂理」を正しく理解することの重要性を子供に伝えるべきという話になる。

本稿で着目したいのは、そもそも「なぜカリキュラムは等比級数的にデザインされているか」である。結論を先取りすれば「0を1にする」より「1を2にする」方が簡単だからだ。やねうらお氏の言うように「カリキュラム制作者が等比級数的な理解を前提としている」を言い換えているように見えるかもしれないが、若干の違いがある。

筆者が着目しているのは「スタート地点」である。等比級数だって初項が存在する。算数の世界なら初項a1と公比rを仮定すれば、a2,a3と決まっていくが教育の世界はその初項がなかなか決まらないのである。

数学でも英語でもプログラミングでも、未知の内容を学習するのであれば、その分野についての知識量はスタート地点では0である。0の状態から1にするなら、演算子や数字やアルファベットの書き方や基本的な読み方など、最初に覚えなければならないことは多い。

あまりに基本的な部分となると、それは単純に「仮定」であったり、世界の摂理がよく分からない事も多い。演算子+(プラス)がなぜ十字で書かれるようになったかの理由はちゃんと存在するが、そこを気にしていてはいつまでも経っても足し算の授業に入れないし、Javaで32bit整数をintと表記する事に背景はちゃんとあるが、初学者がそれを気にしていては先に進まない。

そうすると、序盤はどうしても単純記憶に頼る部分が多くなる。連想記憶を行うための記憶(初項)がそもそも存在しないため、初項を作るために一定数の単純記憶が必要になる。そうすると、どうしても表面的な理解と記憶で留める術が必要になる。些細な事を気にしていると学校の授業についていけないし、教師にも嫌われてしまうわけだ。

これは小中高の教育課程に関わらず、数学の専門書やプログラミングの技術書など特定の書籍の中でも同じだ。数学でもプログラミングでも最初は定義が沢山と続く。そこに意味はちゃんとあるが、機械的にインプットすべきものも多い。

例えば2019年に新版が出た『独習Java』の目次を見ると、1章~11章(全578ページ)のうち、

  • 1~6章(1~272ページ):Javaの基本構文と基本API
  • 7~9章(273~460ページ):オブジェクト指向プログラミング
  • 10~11章(461~578ページ):ラムダ式、マルチスレッドなど

と半数近くを基本的な内容で占められている。よく売れているスッキリわかるJava入門などでもこの傾向は変わらない。

オブジェクト指向プログラミングは抽象的な内容なので単純に仕組みを説明するだけならそれほど必要なページ量は多くならないが、実際に理解するのは基本構文よりも遥かに難しく、本来なら多くのページ数が必要なはずである。

しかし、オブジェクト指向プログラミングを理解するためには基本的な構文を覚えている必要があり、そのための摂理に触れていくとどんどんコンピュータの「低水準の世界」に嵌まり込んでしまうので、結果的に長々と基本構文の世界が続くわけだ。

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金融・マーケティング分野の機械学習システム開発や導入支援が専門。SlofiAでは主に海外情勢に関する記事、金融工学や機械学習に関する記事を担当。

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